その日の夜、たしぎは隊員達に
明日の朝、クロコダイルをタマリスク港へ連行するので、
今夜は十分に休養をとるようにと言い渡した。
厳重な警備を確認し、すぐ戻りますと言って隊舎を出た。
たしぎは、王国の広場へと向かっていた。
身体は疲れ果て、膝の痛みは増すばかりだったが、
とても、眠れるような状態ではなかった。
足を引きずりながら、広場の入口にたたずむ。
昼間とはうって変わって、ひとひとりいない。
昼からの雨がまだ、降り続いていた。
暖かい、希望に満ちた雨だと思った。
それに比べて、たしぎの心は、冷たく重い鉛のようだった。
自分は何をした？
この国の危機に、何一つ役に立たなかった。
私の剣は、この国の正義を守ることは出来なかった。
それが、悔しかった。
今日の光景をふり払おうと、頭を振った。
ふと、顔を上げると、広場に、人影が現れた。
目を細めて、よく見ようとして身体が固まる。
ロロノアだった。
雨の中、刀を抜いて、何をしようとしているのだろう？
ゾロは、ダスホースネスとの戦いを思い出していた。
あの時の呼吸を自分の中で確実なものにしたくて、
宮殿で、目覚めると同時に、外に出た。
和道一文字を抜いて、気を整える。
自らの呼吸、刀の呼吸、周りの呼吸。
精神を研ぎ澄まし、全身で感じる。
刀を振りぬく先にあるものの、気配を捉える。
上段、下段、中段、構えを変化させながら、
静かに、時に激しく、雨を切り裂いていく。
たしぎは、その姿を、魂が抜けたように見つめていた。
この人は、なんて、美しい剣を振るうのだろうか。
見つめているうちに、涙がこぼれた。
まるで、届かない。
刀のその先に、人の気配を感じる。
オレは、こいつを知っている。
刀を下ろして、鞘に収めると、その方向に向きなおる。
この雨の中、何をやっているんだ？
一瞬、立ち去ろうかと迷ったが、昼間の事を思い、
たしぎに向かって歩きだした。
たしぎは、傍らの壁に寄りかかり、
近づいてくる男をただ見つめていた。
捕らえようという気は起こらなかった。
ゾロは、今にも崩れ落ちそうな女の前に立つと、
「今日は、あいつらに手を出さずにいてくれて、
助かった。礼を言う。」と言って、頭を下げる。
「・・・気づいていたんですか？」
あの時、壁にもたれ、座り込んでいたゾロの姿を思い出す。
あの時のことを、ロロノアに聞かれていたことを知り、
なんとなく気恥ずかしくなる。
「おまえ、名前は？」
「・・・たしぎです。」
「・・・ああ、そう呼ばれていたな。」
「鳥の名前なんです。」
なんで、こんなことまで、言ってるんだろう、私は。
何から、何まで一緒なんだな、くいなと。
横を向いた、顔を見て、
たしぎの頬を濡らすのが、この雨だけではないことに気づいた。
泣いている姿が、くいなと重なる。
強くなりたいと泣く、くいなの姿に。
泣くなよ！
なんで、泣くんだよ！
まるで、自分があの頃に戻ったような感覚に陥る。
あの時、オレはどうすればよかったんだ？
くいなは、どうして欲しかったんだ？
幾度となく繰り返された疑問が浮かぶ。
一歩前にでると、そのまま目の前の女を抱きしめていた。
「もう、泣くな。」
それは、懇願に近い叫びだったかもしれない。
抵抗することもなく、身を委ねているたしぎの
雨と涙で濡れた頬を、手のひらで拭うと、
そのまま唇を重ねる。
舌を割り入れ、舌を絡めるように
たしぎの口の中を己の舌で満たしていく。
自分の欲望だけをぶつけるような、そんな激しい口づけだった。
ガツッと音がして歯と歯がぶつかり、口中に血の味が広がった。
押さえていた手を緩める。
「・・・や、やめて・・・」
力の入らない手で、ゾロの身体を押しやると、
ようやく拒否する言葉が出てきた。
たしぎは、自分に起こっていることの理由が解らなかった。
その場に、崩れるように座り込む。
「すまなかった。」
そう言って項垂れるロロノアの顔を見て、
ようやく気付く。
ロロノアの目は、私を見ていない。
「謝らないで下さい。」
顔を背ける。
動くことができなかった。
雨が少しだけ激しさを増した。
たしぎの輪郭が細かい水飛沫で、ぼやける。
ゾロは、黙ったまま、その姿を見つめていた。
そして、おもむろに、しゃがみこんでたしぎを抱き上げると、歩き出した。
「送っていく。どっちだ？」
たしぎは、黙って、行く方向を指差した。
無事に隊舎の近くまで辿り着くと、たしぎは無言で背を向けて中に入ってく。
二人は一度も、目を合わせようとはしなかった。
たしぎが、消えると、ゾロは宮殿に向かって歩きだした。
あいつは、くいなじゃない。
ゾロは、自分に言い聞かせていた。
でも、あいつの泣き顔は、もう見たくないんだ。
それが、自分勝手な想いだということも、よくわかっているつもりだった。
たしぎは、自室に戻ると濡れた身体を拭きもせずに、ベッドに倒れ込む。
口の中が、微かにしょっぱい。
涙が出てきた。
ロロノアに口づけされたことが、悲しい訳ではなかった。
私は、あの日、ローグタウンで出会った時から、
ロロノアのことが、好きだったんだ。
認めてしまえば、楽になる。
でも、ロロノアの目には私は映っていなかった。
私を通して、誰かを見ていた。
それが、悲しかった。
広場で剣を振るう姿が目に浮かぶ。
ロロノアの中に、誰がいようと、私は、あなたのように強くなりたい。
そう願うくらい構いませんよね。
翌日、スモーカーに、クロコダイルを引渡し、
再び、誓う。
強くなりますよ。
ロロノアに負けないくらい、強くなります。
自分の心に、負けないくらい、強くなります。
それぞれの想いを携えながら、
再び、グランドラインで、顔を合わせることとなる。
〈完〉
